古今亭志ん朝の死因 志ん朝亡き後の落語界について
古今亭志ん朝の死因とは?
現在もご健在なら高いお金を払ってもいいから絶対に生で高座を拝見したいと思えるような落語家がいます。
三代目古今亭志ん朝師匠です。
63歳で早世されてしまった。70代・80代の枯れた志ん朝の芸を観たかった。
若くして糖尿病を患い、晩年は入退院を繰り返していた。直接の死因は肝臓がん。やはり根っからの酒好きが志ん朝師匠の身体を蝕んでいったのか・・
もう少し養生して頂きたかった。
志ん朝師匠は残念ながらもうすでに鬼籍に入ってしまっているので、もう生の高座を拝見することはできませんが、You tubeや販売されているCDやDVDで楽しむことが出来ます。
私は今では志ん朝師匠の江戸前の落語に魅せられ、You tubeで毎日狂ったように聴いています。
皆様にも是非、古今亭志ん朝の凄さ、落語のすばらしさを知って頂きたいと思います。
古今亭志ん朝 不出の華麗なる江戸落語の天才噺家
古今亭志ん朝の凄さ
華麗さ・スピード感
古今亭志ん朝師匠の落語の特徴はなんといっても歯切れの良さとスピード感です。
現在ではほとんど聴くことができなくなった生粋の江戸弁を巧みに操り、まるで江戸の庶民の生活ぶり、息づかいが生き生きと目の前のスクリーンに映像として映し出されるようです。
落語の初心者でも、若い人にもわかるように江戸の雰囲気をあえて強く出しています。
丁寧かつスピーディーな落語で端正で華やかでありながら、おかしみがあり、聴く者をどんどん引き込んでしまいます。
まるで上質な芝居を観ているかのような高座
志ん朝師匠の高座を映像で拝見すると、まるで上質なお芝居を観ているようです。
ただ座布団に座ってしゃべるのではなく、登場人物がそういう動きをしているように立体的に身体を動かしリアリティさを演出しています。
表情、仕草、動き、噺のリズム・・・あたかも登場人物が乗り移ったかのようで本当に凄いのです。
落語の枕や噺の構成のうまさ
志ん朝師匠の凄いところはあれだけのスピーディーな落語でありながら、噺の構成が実にしっかりしているところです。
落語の噺は「枕」「本題」「オチ」で構成されています。
まず、枕で「オチ」の伏線を張ったりお客様が迷いなく「本題」の世界観を楽しめるようにするために、時代背景や江戸の風習などを説明したりします。
お客様をどれだけ本題に引き込めるか、枕は落語家の個性やセンスが良く表れる腕の見せ所であり、枕で落語家の実力が分かります。
枕に定評のある柳家小三治師匠は確かに枕は面白いのですが、本題と関係ない小三治師匠の身の回りに起こった楽しい事をしゃべったりするので枕がやたら長かったりします。
その点、志ん朝師匠は落語に関係ない事はあまり枕では話しません。時代背景の説明やオチへの伏線が実に巧みで聴く者を魅了します。
落語初心者にもおすすめ
私は落語に興味があってもまだ聴いたことがない人に「落語は誰から聴き始めたらいいか?」と聞かれたら、古今亭志ん朝師匠だと答えます。
志ん朝師匠の落語の展開はスピーディーではありますが、とても分かりやすく、初心者の方でも噺の内容がす~と頭の中に入ってきますし、何度聴いても飽きませんので、落語鑑賞の熟練者の心も掴んで離しません。
古今亭志ん朝の経歴
- 1938年3月10日 東京都文京区本駒込にて出生。本名 美濃部強次
- 五代目古今亭志ん生の次男。兄は十代目金原亭馬生
- 幼少期から芝居好きで将来は歌舞伎役者になりたかった。
- 独協高校在籍時、ドイツ語を学ぶ。歌舞伎役者とともに外交官になりたいと夢を描く。
- 1957年3月 役者を志しており落語家になりたい意思はなかったが、父 古今亭志ん生から「噺家なら扇子一本でメシが食える」と説得され役者を諦め、父・五代目古今亭志ん生に入門。前座名は朝太
- 1659年2月 二つ目に昇進
- 1962年5月 春風亭柳朝とともに36人抜きで真打に昇進。三代目古今亭志ん朝を襲名
- 八代目桂文楽の芸風を基調とし、心酔している笑福亭松鶴の豪放さも自信の芸に取り込み、たちまち人気落語家となる。
- 喜劇俳優などタレント活動でも人気。多才さを発揮する
- 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝とともに若手落語四天王と呼ばれ人気を博す
- 1996年8月 落語協会副会長に就任
- 2001年 芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
- 2001年10月1日 惜しまれつつ肝臓がんにより死去
芸風の成立
外交官や歌舞伎役者になりたかった美濃部強次青年。落語家になったきっかけは父・五代目古今亭志ん生の次の一言でした。
噺家なら扇子一本でメシが食える
この言葉で父親の元に入門して落語家を志したのにも関わらず父親である古今亭志ん生とは全く違う芸風。
幼いころから賭博、酒、たばこに手を出し、親を困らせ勘当されるなど素行の悪かった志ん生。落語家としての腕は確かで17歳で弟子入りし、早くも21歳で真打に昇進しました。
32歳で結婚してかららも妻の嫁入り道具を質入れし、作ったお金で吉原で遊び使い果たしてしまうという自由気ままさ。
志ん生の芸風においても、自由というか破天荒というか・・・。
酔ったまま高座に上がり、眠り込んだり、次のセリフが酒のせいだか忘れてしまい、即興でセリフをつないだこともあったそうです。
志ん生師匠の頭の中は高座で話す順番だけ決めておいてあとはその時の状況によってアドリブにちかい感じでしゃっべていたのではないかと志ん朝はおっしゃっていますが、それでいて多くのファンの心を掴んで立派な落語になるのだから凄い。まさに唯一無二の存在です。
まさに即興演奏を得意とするジャズプレイヤーのようです。
ジャズファンでもある私からすれば、志ん生師匠はフリージャズを演奏しながら良く聴くとまともなジャズに聴こえるオーネット・コールマンみたいです。
しかし、息子である志ん朝は父の芸風を継がなかった。
親父の落語はブロークンだよ。真似しても仕方がない。
志ん朝師匠は芝居好きの素養があるのか、落語をやるのならきちっとした落語をやりたかったのでしょう。
徹底して練り込んで完成度を極限にまで高め「精密機械」のような綿密な芸風である八代目桂文楽に傾倒していました。
文楽師匠に加え、敬愛していた三遊亭圓生師匠の芸風も手本にして、自らの芸風を作り上げていきました。
古今亭志ん朝の凄さが分かる演目
- 大工調べ
- 居残り佐平治
弟子の与太郎が最近、全く仕事に顔を出さない。この与太郎、仕事はできるが、世間知らずで無知。
心配になった棟梁は、与太郎を問いただすと、家賃を滞納していて、道具箱を家主に借金のかたに取られてしまったという。
いくら家賃を溜めてるんだと聞くと、一両と八百という。
棟梁は一両を建て替えて道具箱を返してもらうと家主と話し合うが、家主は一両八百きっちりと返してもらわないと絶対に返さないと意地を張る。
怒った棟梁、怒涛の如く、凄まじい啖呵を家主に浴びせる。
志ん朝の江戸弁バリバリの啖呵、凄いです。さすがとしか言いようがありません。
貧乏長屋に住む佐平治、仲間2人を引き連れ東海道品川宿にある遊郭へ。
さんざん飲み食い遊んだあと、俺は悪い病に罹っている。治すにはここで長いこと療養が必要だ、とか言って仲間を帰し、自分は帰らない。
宿の若い者からお勘定の要求があるとのらりくらりとかわしていつまでたっても帰らない。
無一文なのを咎められるとむしろ開き直って居残りを決めてしまう。
この佐平治という男は只者ではない。コミュニケーション能力が最強なのだ。あっという間に花魁、他の客に気に入られ人気者になっていく。
志ん朝が演じる図々しいながもどこか愛嬌があって憎めない佐平治。雰囲気最高です。
私が志ん朝師匠の存在を知ったのは、お亡くなりになった後でしたので、「もっと早く生まれてもっと早く知りたかった!」という気持ちです。
最近、著名な芸能人、特にまだ50~60代と若い方の死が相次いでいます。後年に功績を残すようなクリエイターは作品を作り上げるには多大なエネルギーを使い、身体に負担をかけるのだろうか。
志ん朝師匠の死は落語界にぽっかりと大きな穴をあけました。しかし、後に続く世代が台頭して伝統をつないでいます。
柳家喬太郎、古今亭菊之丞、林家たい平、春風亭一之輔、春風亭昇太、柳家三三・・・
さらにその下の世代だと柳亭小痴楽、柳家わさび、蝶花亭桃花、桂二葉、月亭方正・・・・
彼らがいる限り、しばらく落語界は安泰でしょう。
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