金原亭杏寿 プロフィール 沖縄出身の美人落語家
落語界に将来有望な女性落語家が続々と頭角を現してきまてます。今回ご紹介する金原亭杏寿さんもその一人です。
落語界NO.1の美人といっても過言ではありません。なんといっても可愛らしい。落語界の新星としてこれからの活躍を期待せずにはいられない女性落語家です。
2023年2月に二つ目に昇進し、最近ではBS日テレ「笑点特大号」の女流大喜利コーナーに出演するなど人気急上昇中です。
沖縄県出身で二つ目になったのは、過去に男性では一人、女性では金原亭杏寿さんが初めてです。
金原亭杏寿 沖縄出身の美人落語家
金原亭杏寿さんの経歴
- 1988年12月17日生まれ
- 沖縄県那覇市出身
- 本名 川満彩杏(あい)
- 高校2年生の時に吹奏楽部の友人と那覇祭りに行った際、スカウトされ地元で芸能活動を始める。
- 沖縄県を中心にCM、ドラマ、モデル、舞台、ラジオなどで活躍。
- 2012年後期のNHK連続テレビ小説「純と愛」でヒロインオーディションに応募。最終選考まで残るが惜しくもヒロイン役は逃したが、ヒロインの兄の嫁役で出演を果たす。
- 2016年上京。芸能事務所エージェントオフィスタクトに所属。
- 2017年11月 事務所を辞め金原亭世之介に弟子入り。
- 2023年2月 二つ目に昇進
金原亭杏寿さんはなんと、落語家になる前、地元沖縄で芸能活動をしていて、NHKの朝ドラにも出演していたそうです。その彼女がなぜ落語家になったのでしょうか?
芸能活動時代の苦悩
杏寿さんが芸能活動を始めたのは、地元沖縄の芸能マネージャーにスカウトされた事がきっかけ。
12年くらい芸能活動を続けて、役者の仕事がメインでしたが、レポーター、CM、舞台、ラジオでも活躍されました。沖縄での芸能活動は割と順調だったそうです。
ところがそう甘くはなかった。
2012年後期のNHK連続テレビ小説に出演を果たしてもその先が続かなかった。なかなか仕事のオファーがない。芸能界における自分の立ち位置が分からず、何を目指していいのか分からなかった。
自分らしく表現する方法が分からなくなっていた。
歌って踊ってみたり、漫才をしてみたり・・・・「自分は何者になれるんだろう」そんな想いが常に頭の中に会った。
そんな苦悩の時に出会って人生を変えてくれたのが落語でした。
弟子入り
ある日、芝居のレッスンで講義を受けていた講師の方から「お芝居の勉強になるから」と勧められた金原亭世之介師匠の独演会で初めて落語を聴いてその表現力の豊かさに衝撃を受け、弟子入りを決意したそうです。
池袋演芸ホールで行われた独演会。師匠は「宮戸川」という古典落語を演じておられ、杏寿さんはまるで一本の映画を観ているように頭にその情景が浮かんできたそうです。
その後、師匠と直接に会う機会があり、弟子入りを志願しました。
杏寿さんが入門の決め手になったのが師匠の次の言葉だったそうです。
落語家っていい商売だよ。
手ぬぐいと扇子を持って話すだけでお金になる。
前座時代の苦労
師匠のこの言葉を信じて杏寿さんは師匠の元へ入門しました。ところが待っていたのが前座のつらい修行でした。
落語家の前座修行ってこんなに大変なんだ。覚える事が多くて大変だ・・・
騙された~
前座時代の修行は信じられないほど辛かった。「こんなに大変なんだ」「こんなに覚えることがあって大変なんだ」
杏寿さんは高座での華やかな落語家をイメージしていて、こんなに厳しい修行があるのか、こんなに辛いのかと想像できなかったそうです。
師匠の「手ぬぐいと扇子を持って話すだけでお金になる」という言葉を信じて入門しただけに「騙された」と感じたそうです。
杏寿さんの師匠の金原亭世之介師匠の指導の厳しさには定評があります。世之介師匠の弟子の修行方針については次の通りです。
- 弟子になるという事は、師匠から無償で芸を教えてもらう事
- 尊敬する師匠に頼み込んで弟子にしてもらっているのだから、月謝がない代わりに、弟子は師匠について身の回りの世話を身を尽くして働くこと
- 言われる前に気を利かして自ら進んでやる事
- 着物のたたみ方、手ぬぐいや扇子の扱い方を覚える
- 前座の重要な仕事である寄席の太鼓。二つ目になると自分専用のお囃子で高座に上がる事が許される。前座ではお囃子に合わせた太鼓が叩けるようにならなければならない
- 礼儀・作法を徹底的に覚える
このような厳しい前座修行の方針を貫いているのは、弟子が立派な人間としてどこの社会でも通用するように、また、競争の激しい芸の道で、甘えようとする自分との闘いに勝てるようにするためなのです。
杏寿さんは、師匠へお茶を出すタイミングを間違え、ひどく怒られた事があるそうです。師匠が一息ついた時とかお茶を飲みたいタイミングに出さないとダメなんだそうです。
そこまで気を配ららないといけないなんて、厳しいですね。
杏寿さんは5年間の辛い前座修行を乗り越え、落語家としてのスタートラインである二つ目に昇進しました。
故郷・沖縄への想い
沖縄に生まれ育ったのでいつか沖縄で独演会を開きたい・・・
杏寿さんの強い願い、地元への強い想いがようやくかないました。二つ目に昇進する直前、杏寿さんは師匠と地元沖縄で「親子会」を開催しました。
そこで待っていたのは「待っていたよー」という地元の方々の暖かい声援でした。
女優と噺家との違い
杏寿さんは落語家として活躍する前、女優として活躍されていました。杏寿さんが戸惑ったのは「役者」と「落語家」としての役への表現方法の違いでした。
役者の役への演じ方はどうしても「演じる」事に注力してしまう。演じようとするとどうしてももわざとらしくなってしまう。落語は演じてはいけない。あくまでも自然に。でもこれが一番難しい。
どううすれば落語の登場人物を自然に表現できるようになれるか・・・・これが現在の杏寿さんが苦慮している点です。でもきっと乗り越え自然な落語を表現できるようになるでしょう・
まとめ
前座の辛い修行を乗り越え、二つ目に昇進した金原亭杏寿さん。キャリアとしてはまだ浅いですが、他の方にはない「華」があるし、根性もある。
もっと経験を積み、落語界でさらに大きな存在になれるように応援しています。
コメント