古典落語「死神」のあらすじです。
この「死神」という演目は内容が分かりやすく、落語をあまり聴いたことがない方、落語は難しくて敷居が高いと思っているかたにも是非聴いてもらいたい噺です。
多くの噺家さんが演じていますが、それぞれサゲ(オチ)のバージョンが違い、内容も変わってくるので、いろいろな噺家さんの「死神」を聴き分けてみるのも面白いと思います。
噺のタイトルが「死神」となっていますが、決して怖い噺ではなく、「人生とは何か」 について考えさせられる深い噺です。
古典落語「死神」あらすじ 「人生」について深く考えさせられる深い噺
あらすじ
ろくに仕事をせず、遊んでばかりのどうしようもない亭主。あちこちから借金をこしらえ返済に追われるも、金を工面するあてがない。ついに女房から愛想をつかされる。
豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ
などと言われる始末。
生きていくのに絶望し、死に場所を探してさまよう。
どうやって死のうか死んだことがないからわからない。首を括るのにちょうどいい木があったので、枝に縄をかけて首を吊ろうとするがなかなかうまくいかず死にきれない。
どうやって死ねばいいんだ
死神登場
教えてやろうか
声に気づいて振り向くと年のころは70代か80代。痩せこけた老人が声をかけてきた。
驚いた男は「誰だ?お前は?」と聞くとその老人は「死神 だよ」と名乗る。
男「よせよ。死神なんかと仲良くなりたくない。あっち行け 」
死神は男に対して
「お前は金に困っているんだろ?だったらいい仕事を紹介してやるよ」と医者になる事を進めた。
男は「脈の取り方も知らない、薬の調合の仕方も知らない。こんなんで医者になんかなれるか!」と反論する。
いくら死のうと思っていても人間には寿命ってものがある。寿命がある奴は死にたいと思ってもどうしても死ねない。あべこべに寿命がない奴はすぐに死ぬ。
長患いの病人のそばには必ず死神がいる。足元に死神が座っていれば助かるが、枕元にいればどうしようもない。
足元に座っている死神を狙って呪文をかけてるんだ。そしたら死神はいなくなり、病が治る。呪文を教えてやる。よく覚えておけ
アジャラカモクレン
キューライツ
テケレッツのパー
死神から教えてもらった呪文を唱えると・・・
男は教えてもらった呪文を唱えると、すーと死神がいなくなった。
なるほと、これはいけると思い、台所にあった小田原蒲鉾の板に「医者」と書き、玄関に掲げた。男は自分が医者になった事を忘れていたが、しばらくして日本橋の大店の使いがやってきて主人を診てほしいと頼みに来る
「手前どもの主人が長病を患いまして、江戸中の名医に診せたところ、どの先生ももう望みはないとおっしゃるんです。どうか主人を治して頂きたい」
男が主人の寝ている部屋に入ってみると、死神が足元に座っている。「これは助かります」と男は使いに言う。
これはチャンスとばかりに例の呪文を唱えてみる
アジャラカモクレン
キューライツ
テケレッツのパー
すると足元から死神はいなくなり、あれほど苦しがっていら主人の容態はみるみるうちに回復する。「急に胸の中が晴れたような気がする」
これが江戸中で評判になり、瀕死の病を抱えた患者や家族が「我も我も」とばかりに押し寄せる。「名医」「生き神様」などともてはやされる。
男はたちまち財をなし、江戸に立派な屋敷を構えるようになった。
楽してお金を稼いだ男の末路
男は財をなし大変な金持ちになった。瀕死の患者を救ったともてはやされはいるが、死神から教えてもらった呪文を唱えているだけ。医学の勉強をしたわけではないし、財をなすために苦労をしたわけではない。
苦労を知らずいきなり大金を手に入れた者の末路はどうなるか?黙っていても楽に金を稼げるんだって世の中甘くみてしまう。贅沢な生活を覚え、女房子供を捨てて若い女と京大坂見物に出かけるなど遊び惚けてしまう。
散財を繰り返した結果、無一文になり、「金」「家族」「信用」は全て失ってしまう。
仕方なく、再び「医者」の看板を掲げてみるが、待てど暮らせど患者が来ない。たまに来ても枕元に死神がいる患者ばかり。これじゃどうにもならない。男の人生はまたしても行き詰まるようになった。
救世主現る!
こうしたなか、どこで噂を聞きつけたのか、江戸で随一の大店、麹町の文五屋源兵衛の使いがやって来た。相手は金持ち。さあ金をうんとふんだくってやろうと邪な考えが浮かぶ。
「主人が長患いをしています。どうにか先生のお力をお借りして主人を助けて頂きたい」使いに案内されて主人の部屋に入ってみると死神が枕元に座っている。
「申し訳ありませんが、ご主人を助けることはできません。寿命です。ご勘弁下さい」
「そんな事言わずに先生のお知恵でなんとか助けてください」
「知恵知恵というが、出来ないものは出来ないんです。お諦め下さい」
「主人の命を一日でも持たせて頂けるならば先生に五千両差し上げます」
「五千両!!」
一か八か 禁断の奥の手を・・・
どうしても五千両という大金が欲しい男は「禁断の奥の手」というべき最終手段を使い一か八かの賭けに出ることにした。
今、病人の枕元に死神がいる。枕元にいる死神はまだまだ元気だ。夜になって死神が疲れて眠ってしまったすきに、気づかれないうちに布団を180℃回転させ、今枕元にいる死神を足元に移動させ、その瞬間に例の呪文を唱え、病人を生き返らせようとするわけだ。
夜も更け、死神が居眠りを始めた。今がチャンスとばかりに男は呪文を唱える。
死神は「うわ~」という叫び声を上げながらどこかに消えていった。病人は瞬く間に回復し健康を取り戻した。
死神 再び現る
健康を取り戻した取り戻した主人から金を受け取ると居酒屋で祝杯を挙げた。家路に急ぐとそこに例の死神が再び現れ声をかけてきた。
死神「お前はなんてことをしてくれたんだ。とんでもねえことをしやがって。ちょっとついてこい」
死神は地面にぽっかり空いた穴の中に入れという。怖いながら死神に逆らえない男が穴の中に入ってみるとそこは無数の蝋燭が並んでいる。
死神「ここにある蝋燭のひとつひとつの炎は人間の寿命だ。あそこにもうもうと燃え盛っているのはお前の女房の命だ」
男「あいつは蠟燭まで憎々しいですね。あそこに今にも消えようとしているのがありますね。」
死神「あれがお前の命だ」
男「そ、そんな~」
死神「お前は五千両という金に目がくらんで病人の命と自分の命を取り換えたんだ。一度取り換えた命は二度と取り換えることはできない」
男「死にたくない!なんとか助けて下さい!死神様!」
仕方ないので死神は別の蝋燭の燃えさしを男に渡す。男は自分の蝋燭に燃えさしで火を移して延命を図ろうとするが恐怖で手が震えてなかなかうまくいかない。
死神「早くしないと死ぬよ」「さあ、早くしないと・・・・。消えた・・・・」
古典落語「死神」から教わる人生の教訓
落語を聴いていて「なるほど これは人生の教訓だ」と納得することがよくあります。この死神という噺を聴いて私がこれは人生の教訓だと思った点は以下の通りです。
- 苦労もせずに大金を稼ぐなんてありえない
- 苦労もせずに大金を稼いだら結局は使ってしまう
- 甘い誘惑は地獄のはじまり
- お金を稼ぐには苦労がつきもの。簡単に稼げる仕事は存在しない
- 欲望をコントロールできない人間は不幸になりやすく人間としての寿命(信用、名声)が短くなる
この噺を聴くと、人生楽して成功はつかめないんだなと思いました。人生には苦労はつきもの。苦難を乗り越えてこそ意味がある人生になる。この噺に出てくるどうしようもない男は人生の半面教師にして。
皆さんも、この噺を聴いて「人生の教訓」を感じ取っていただければと思います。
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