古典落語「そば清」欲にまみれた男の末路は・・・?
古典落語「そば清」のあらすじです。
江戸時代の昔から日本人の食生活になくてはならない蕎麦。これを江戸時代の人達は賭けの対象としていました。
今も昔も楽してお金稼ぎたいという人がいるのは変わりません。楽してお金を稼ぐ手段として今も昔も存在しているのは「賭け事」「ギャンブル」です。
楽してお金を稼げるギャンブルにうつつを抜かして身の破滅を招いてしまった男の末路は?
今回はそんな噺をご紹介します。
現在のように競馬やら競艇にオートレースといった公営ギャンブル、パチンコといった私設ギャンブルなどなかった江戸時代、「そば賭け」という遊びが流行していました。
そば好きの人に「そばを何杯食えるか、食えないか」と賭けるのです。そばを食う人、賭ける人双方が金を出し、目標数を食べられたら食べた人が掛け金を総取り。食えなかったら賭けた人が掛け金を総取りする仕組みです。
今でいう「フードファイター」ですね。
あらすじ
ある日、近所の蕎麦屋で近所の連中がそばを食べながら世間話をしていると、ここのところ毎日来ている見慣れない男がいる。
この男。近くに引っ越してきたばかりで、そばが好きで毎日そばを食べていないと居られないらしく、うまい蕎麦屋を探していたそうです。
来るたびにざるそば10枚もあっという間にペロリと平らげてしまう。その食いっぷりに近所の人は感心してしまう。近所の連中はお近づきのしるしにと「そば賭けをしませんか」と持ち掛ける。
一度期にどれくらい食べられますか?
そうでうねー 10枚くらいですかね~
15枚で一分でどうですか?
15枚なんてとてもとても。12枚がやっとです。
そういいながら、この男はざるそば15枚をすーと平らげてしまった。近所の連中が集めたなけなしの一分という金がそば好きの男のものになってしまった。
江戸時代の貨幣価値で一分とは一両の4分の1です。1両は現在の貨幣価値に直すと約120,000円くらいですから、一部はその4分の1ですから30000円位です。
悔しいので男に近所の連中は20枚で三分と持ち掛けるが、「いやー、20枚なんて・・・」と言いながらす~と平らげる。30枚で1両と量と掛け金を上げていくが結果は同じ。難なく食べてしまう。
いつもは30枚なんて食べられないのに今日は調子がよっかたんですね~ 早速1両頂いて帰ります。さようなら!
ちきしょう!またとられちまったじゃねえか。化け物だよ。あの男は
そば好きの男の正体とは?
このやりとりを笑いながら見ている人がいる。
通りすがりの者なんですがね。そば賭けやっていると聞いたもんで。
あの人は清兵衛さんといってお蕎麦が大好きで人呼んでおそばの清兵衛、つめてそば清っていうんだよ。
一度期に50は食べるんだよ。そば賭けでもって家を3建てたっていうんだ。たそんな人を相手にして20だの30だのやったって勝ってこねえさ。
あしたあの人が来たら60でやってみなよ。掛け金を3両にして。そしたら勝てるかもしれないよ。
あくる日、また儲けてやろうと蕎麦屋にのこのこやって来たそば清。
「あなた、おそばの清兵衛、そば清っていうんでしょ。一度期に50は食べるんでしょ。今日は派手にやってもらいますよ」
近所の連中はアドバイス通りそば清に「60枚で3両」という勝負を持ちかける。
勘弁して下さいよー 60なんてできっこない
清兵衛はこの勝負を受けることなく、なんとか逃げて家に帰ってしまった。
清兵衛 蕎麦の本場 信州へ
しばらくして清兵衛は仕事の用事で信州へ赴く。ひと月ばかり家を空けて仕事をしていた、さあ、江戸に帰るぞと帰路の途中、道に迷って山の中でさまよってしまう。
そこでそば清は恐ろしい光景を見ることになってしまう。
一人の農夫が畑仕事をしていると、茂みの中からうわばみ(大蛇)が出てきて農夫を襲い一飲みしてしまう。さすがのうわばみも人間一人を丸飲みしたので腹は大きく膨れ苦しそうにしていたが、やがてうわばみが岩陰の中に隠れてしまう。
清兵衛がうわばみを追ってみると辺り一面明るくなるくらい真っ赤な草がびっしり生えている。
うわばみがその赤い草を「ペロリ ペロリ」と舐めると不思議な事にみるみるうちに膨らんでいたうわばみのお腹が細くなっていく。そして気持ちよさそううわばみは大きな唸り声をあげてどこかへ消えていった。
そば清 致命的な勘違い
清兵衛はうわばみが舐めていた赤い草は食べたものをなんでも消化してしまう薬みたいなものだと思いこむ。
よし!あれをそば賭けの前に舐めりゃあ、食ったそばを溶かしてくれる。いくらでも食えるぞ!江戸に持って帰っていくらでも稼いでやる!
清兵衛は赤い草を摘み取り、意気揚々と江戸に帰ってくる。早速蕎麦屋を訪ね、自らそば賭けを申しでる。
どうです?70で5両とは
清兵衛の申し出で真剣勝負のはじまりだ。
清兵衛はそばをあっという間に40、50,60枚と平らげていく。しかし、60を過ぎたあたりからそばを食べるスピードが明らかに落ちてくる。
限界が来たらしく清兵衛は少し休みたい、表の風に当たりたいと申しでる。店の外に出て清兵衛は信州で摘み取った赤い草をペチャクチャ舐める。
舐めている草は食べている物をなんでも溶かしてくれる薬だから、これでそばがきれいに消化されてまだそばを食えると思ったのだろう。
しかし、いつまでたっても店の中に戻ってこないため、近所の連中が心配になって表にでてみると、そこには清兵衛の姿がなかった。
あれえ そばが羽織を着ているよ
実は、清兵衛が信州で見つけた赤い草は、食べたものをなんでも溶かしてくれる薬なんかではなく、人間を溶かす草だった・・・
古典落語 そば清 まとめ
蕎麦が無性に食べたくなる
この噺の大きな魅力はこの演目を演じる演者のそばをすする所作です。
終盤、清兵衛が70枚で5両の賭けに出るとき、最初は美味そうにそばを啜りますが、50.60と食べ進めていくにしたがってだんだん苦しくなってきます。
そのあたりをこの噺を演じる演者は実に上手く表現します。
この演目を得意としていたのは、古今亭志ん朝師匠、今原亭馬生師匠。最近では柳家喬太郎師匠です。
これを見てると本当に蕎麦を食べてるように見えてきますし、蕎麦を食べたくなってきます。
賭け事(ギャンブル)は身を亡ぼす
古今東西、ギャンブルにうつつを抜かす者は絶えません。
私も以前、楽してお金を手に入れたいと思ってパチンコにはまっていた時期があります。その結果、一時的には稼ぐことができましたが、やればやるほど負けてしまい、稼ぐところか多額の借金をこしらえたことがあります。
ギャンブルなんかやってると金銭感覚は狂ってくるし、借金なんかこしらえたらどうにかしてそれを返さなければとだけ頭がいっぱいになってきますから精神的にもおかしくなってきます。
ギャンブルは人生をおかしくします。それに気づいてから私はパチンコを一切やめました。
この噺の舞台である江戸時代には、丁半博打なんてありましたし、優勝すればべらぼうに賞金が貰える大食い大会なんていうのもありました。
酒や蕎麦なんかの大食い大会は流行していたようですし、醤油の飲み比べ大会なんていうのもあったそうです。優勝者は3升の醤油を飲んだのはいいのですが、そのあと亡くなってしまったそうです。
なんともバカですね。
この噺に出てくる「そば清」も5両という賭け金に目がくらんで、そばをいくらでも食って儲けてやろうと思い、人を溶かす草をそばを溶かす薬と思い込み、自分自身が溶けてなくなってしまった・・・
賭け事にうつつを抜かすとやっぱりろくな事はないですね。
この噺は楽してお金は手に入らないよとお金を稼ぎたいならコツコツ働けよと教えてくれる教訓のような気がしています。
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