古典落語「粗忽長屋」徹底解説
粗忽長屋っていう落語は一度は聴いたことあるかも。
でもこの噺、「そんなことねえだろ」と思わずつっこみたくなるような場面に出くわします。
この噺、聴きなれている方ならまだしも落語の初心者は覚悟して聴かないと頭が混乱してきます。
今回の記事はこの粗忽長屋という訳の分からないハチャメチャな噺の人間関係、心情、背景を分かりやすく徹底解説します
古典落語「粗忽長屋」とにかくハチャメチャな粗忽の人たち
落語の世界ではそそかっしい人の事を「粗忽の人」と言います。この「粗忽長屋」今回は粗忽な人たちが織りなすハチャメチャワールドを徹底解説します。
いつの世にもいる「そそっかしい人」
人間というのは本当にいろんな人がいる。
物を忘れる。物を落っことす。物をなくす。慌てる。自分がこれから何をしようと分からなくなる。そんなあわてんぼうやそそっかしい人はいつの世にもいます。
このブログを書いている作者も本当にそそっかしい、粗忽の人です。
財布を持たないまま仕事に出かけ、財布がないのを駅で気づいて家まで取りに帰ったり、電車の中に傘を忘れるなんていうのは日常茶飯事。
営業の仕事をしていた時、前向き駐車で止めてあった車をバックで出そうとした時、勢いよくバックさせたら何やら障害物があったらしく、車のリアガラスが大破。
得意先に集金に行った時、小切手を得意先から回収。小切手をバッグに入れて、事務所に報告しようと電話ボックスに「今から戻ります」と報告。
車に戻りバッグを確認してみると、さっき回収したはずの小切手がない!どうやら電話ボックスに忘れてきたようだ!小切手の額面金額は100万円。この100万円を自腹で弁償しなけりゃならんのか・・・
目の前が真っ暗になった。俺の人生もう終わりだと思った。
慌てて電話ボックスに戻ったら、誰にも持っていかれることなく、小切手がそのままそこにあった。「助かった~」あの時は本当に生きた心地がしなかった。
そそっかしいというのは本当に自分も嫌になるし、人さまにも迷惑がかかる・・自分一人だけならまだしも、そそっかしい奴ばかり集まったらそれこそどうなるのか・・・
古典落語「粗忽長屋」あらすじ
そそっかしい「粗忽長屋」の住民たち
そそっかしい奴ばかり集まった長屋なんていうのがあった。あまりに馬鹿馬鹿しくてつきあってらんないのでまともな奴は出ていってどうしようもない奴だけが残った。
そんな長屋の住民、八五郎がある日、浅草の観音様をお参りした帰り、境内の中で黒山の人だかりがあるのに気がつく。
八五郎はその中の一人に声をかける。
ずいぶん人がたかってますね。人山の黒だかりだ。これはどうしたんですか?
さあ、わかりませんね。
八五郎
中の様子、見たいんだけど、どうすりゃあいいかな?
そんなに見たけりゃ、人の股の間でもくぐっていけば?
そりゃいいやと、八五郎、本当に人垣を作っている人の股の間をくぐりぬけ一番前に出る。前に出てみると、むしろが被せられた男の亡骸が横たわっていた。
近くの人が管理人になりなるべく多くの人に見てもらい、親戚、知り合いなどが見つかって、亡骸を引き取ってもらいたいためにそのままにしていたという。
現場を監理している男に聞くと、この男は「行き倒れ」だという。
おい!起きろ!寝てんじゃねえよ
そいつは寝てんじゃないですよ。死んでるんです。
死んでる?行き倒れじゃねえのか?死んでるんなら死に倒れだよ
行き倒れというのを理解できない男を呆れながら、管理人はむしろをめくって亡骸の顔を見るように促す。亡骸の顔を見るなり、八五郎は叫ぶ。
あ~ 熊だ!熊の野郎だ~!
お知合いですか?
お知合いなんてもんじゃねえよ。同じ長屋の隣同士だ。兄弟同様だよ。
こいつとは生まれるときも別、死ぬ時も別々よ。おい!起きろ!
いくら言っても起きませんよ。死んでるんだから。
お知り合いなら引き取ってください!
八五郎によると、熊五郎は天涯孤独。独り身で親兄弟がいない。引き取り手がいない。
困った管理人はこのお亡くなりなった方と最後はいつにお会いになりましたか?と尋ねると、八五郎は「今朝だ」と答える。
それならば、この方は熊さんではありませんよ。
ゆうべからここにいるんだから。
そんなの、本人に聞かねえと分からねえよ。あいつ、いつもぼーっとしているから死んだのも分からないんだよ。
行き倒れの当人をここに連れてくるから
本人連れてくる?馬鹿なこといちゃあいけないよ。とにかく落ち着いて下さい。
ここで倒れてんのを今朝まで気がつかないんだから。
そういう野郎なんだよ。
ここからおかしな展開になっていく。
八五郎は熊の住む長屋に引き返し、ぼーっとしている熊五郎をたたき起こす。
おい!起きろ!寝てんじゃねえよ
浅草の観音様んとこでよ、行き倒れが出たってんだ。
おめえ、浅草で死んでるよ。死んだのも気がつかずに寝てんじゃねえよ!
俺が死んだ?死んだような心持ちがしないよ。
おめえ、ゆうべ何をしてた?
吉原冷やかしに行って、帰り五号ばかり飲んで、ふらふら帰って来た。
観音様のところまでは覚えてるんだけどそのあと覚えてないよ。
おめえは、ゆうべ悪い酒に当たってあそこで倒れてそのまま冷たくなって死んだのも気がつかないでここに帰って来ただろう。
今から死骸引き取りに行くぞ!
勘弁してよ~
自分の死骸を引き取るなんて嫌だな
いつもぼーっとしている熊五郎は八五郎に連れられて行き倒れの亡骸がある現場に戻ってくる。管理人は「また似たような奴が増えた」とあきれ顔。
八五郎はむしろをめくって亡骸の顔をみるなり・・・・こう叫んだ。
あ~俺だ!
なんてまあ、あさましい姿になって。こんな事になるならゆんべもっとうまい物食っときゃあよかった!
熊五郎は行き倒れの死体を抱えて自分の長屋に帰ろうとする。
兄貴、ちょっとわかんなくなってきちゃった
抱かれてるのは俺だけど、抱いてるのはどこの誰なんだ?
粗忽長屋 人物像 背景を解説
この演目は展開が飛躍しすぎていて、頭の理解がついていけません。粗忽長屋のポイントを分かりやすく解説します。
この演目の そんなことねえだろというツッコミポイントは以下の通りです。
- 何故、八五郎は行き倒れの死体を今朝会ったばかりの熊五郎と間違えたのか?
- 何故、八五郎は生きてる熊五郎に「お前、死んでるよ」と言い、行き倒れの現場に連れて来ようとしたのか?
- 何故、熊五郎は自分が生きているにも関わらず、行き倒れの死体に これは俺だ と言ったのか?
この疑問を解く前に、八五郎、熊五郎の言動から推測できる彼らの性格、特性について考えて見ましょう。
八五郎は、何か変わった事があると興味津々。すぐに飛びついてしまいます。それに思い込みが激しく、間違っていたり、勘違いであってもお構いなくどんどん前に進んで行ってしまいます。
常にあたふたしていて、落ち着いて行動することができない。思いつくまま。あまり深く考えない。考えるよりも行動が先。
また、周囲の人の意見をはねのけ、しまいには納得させてしまうパワーすらあります。
それに対して熊五郎はどうでしょう。
いつもぼーっとしている。記憶があいまいで、人から言われることは、おかしいことであっても受け入れてしまう。おそらく何をやるにも注意ができずに集中もできないタイプなんでしょう。
そそっかしい人には二つのタイプがある
そそっかしい人にも二通りのタイプがあるという事。
- 諸突猛進型
- 不注意優勢型
粗忽長屋の登場人物で言えば、諸突猛進型は八五郎で、不注意優勢型は熊五郎という事になります。
諸突猛進型の特徴
- 落着きがない
- 目的を達成しようとする心理が強すぎて、そこにしか目がいかない
- 自分の行動を確認しない
- じっとしていられない
- 軽率な行動
- 思い込みが激しい
- 思い込みで行動する
- その場その場の短絡的行動
- 計画性がなく衝動的 後先の事を考えない
不注意優勢型の特徴
- ぼーっとしている
- 忘れ物・失くしものが多い
- 何事もすぐに忘れる
- 何事でもミスが多い
- 主体性がないため人から言われた事でも、おかしいと思いつつ納得してしまう
- 整理整頓が苦手
- 気が散りやすく、物事に集中できない
つい今朝会ったばかりなのに、ゆうべから倒れている行き倒れを熊五郎と間違えたうえで、生きている熊五郎に「おめえは死んでるんだよ」などと言い放つ。それを受け入れる熊五郎。
そそっかしさの極致を行く彼らならやりかねない事です。
そそっかしい人の長所
そんな、そそっかしい人にも長所があります。
そそっかしい人は明るく元気で、小さなことでくよくよしない。無邪気。そして何事も着手するのが早い。そのため、完璧に物事を進める人よりも周囲を和ませ、見ていて飽きない。愛嬌があって、どこか憎めないところがあります。
粗忽長屋 この演目の魅力
あわてんぼうの八五郎、ぼーっとしている熊五郎という「そそっかしいんだけどタイプが違う」二人の凸凹な個性がぴったりとはまって「死んでいるのに生きている」死んでるのに生きているという不条理な世界が出来上がっています。
間違ったことでも構わずどんどん前に進んでいく熊五郎の押しに負けて「抱いてる俺はいったい誰なんだ」と悩まなくてもいい事を真剣に悩む熊五郎。実に馬鹿馬鹿しい。
この噺、実によくできていると思います。
まとめ
この粗忽長屋の八っさん、熊さんみたいに極端ではないにせよ、そそっかしい人って実際にいるものです。
そそっかしさの度合いの問題で、日常生活や社会生活に支障があると、現在なら発達障害のADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されます。
ADHDを抱える人は、多かれ少なかれ、そそかっしさが原因で社会に出たとたん、仕事で何度もミスをして信用されなくなり、人間界から疎外されたり、解雇される経験を持っています。私もそうです。
仕事を転々としたり、なかなか社会復帰ができずにひきこもってしまう方も多いです。
現在は社会構造が細分化され、コミュニケーション力が重視され、結果や効率重視。そのためそそっかしさが許されない風潮になっています。そのためそそっかしい人はとてつもない生きづらさを感じてしまいます。
その点、落語の世界なら、そそっかしい人でも、周りの人達は「そそっかしい人たち」を温かい目で見守っているような気がします。
落語の中の「そそっかしい人たち」は生きづらさなんか感じていないだろうな。
この「粗忽長屋」という落語、人間の本質をついて実に興味深い。
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