「唐茄子屋政談 」あらすじ
古典落語 「唐茄子屋政談」のあらすじをご紹介します。
主人公は人はいいけど世間知らずの若旦那。
道楽が過ぎ、吉原遊郭の花魁に入れあげてしまう若旦那。全く家に帰らずに勘当され、親せきや友人からも相手にされずに吾妻橋から身投げしようとする。
そこに偶然、若旦那の伯父が通りかかり、若旦那が川に身投げするのを食い止める。
伯父は自分の家で食事をふるまい、家の商売を手伝えと若旦那に命じる。
家の商売とはカボチャの行商であった。そんなのみっともないから嫌だと駄々をこねる若旦那。つべこべ言わずにさっさとやれと厳しく接する伯父。若旦那は慣れない天秤を担ぎ、商売をすれど全く売れない。転んだ弾みで売り物であるカボチャを地面にばらまいてしまう。
居合わせた男がが同情し、長屋の知り合いに声をかけて唐茄子売りを手伝ってくれた。次から次へと若旦那のカボチャを買っていく。残りは2個となった。
裏長屋を通りかかるとみすぼらしくもどこか品のある若いおかみさんに呼び止められる。
カボチャを1個売る。若旦那は女に、自分の弁当を食べる場所を提供してくれるように頼み、女は了承する。若旦那が玄関に腰かけると、幼い少年が若旦那に駆け寄って、弁当をねだり始める。
少年は、女の息子であった。女は「自分の夫は浪人を経て遠くで行商をしているが、最近は送金が滞っている(あるいは、その夫に先立たれた)」という身の上話を若旦那に聞かせる。同情した若旦那は、少年に弁当を与え、女にカボチャの売上金の全部を渡して長屋を去る。
若旦那が叔父の元に帰り、今日あったことを説明するが、叔父は「遊びに使ってしまったのだろう」と言い、なかなか信用しない。
若旦那が叔父を裏長屋へ連れていくと、住民が母子の長屋の前に集まっている。聞くと、「八百屋(若旦那)を追いかけた女が長屋の大家に出くわし、溜まった家賃の支払いとして金を取り上げられ、それを苦に心中を図った」という。怒った若旦那は、大家の屋敷に飛び込んで大家を殴り、長屋の住民もそこへ加勢して、大騒ぎになる。
奉行所の裁きの結果、大家は厳しい咎めを受けることになる。母子は、周囲の介抱の甲斐あって健康を回復し、若旦那の叔父の持つ長屋へ身を寄せる。
当の若旦那は、母子を助けた功が認められ、奉行所から賞金を受け取ることになり、実家の勘当も解かれ、のちに商人として成功を歩むこととなる。
この噺を聴いて浮かび上がる情景
苦労を知らないボンボンの末路
この噺の主人公は苦労を知らないボンボン育ちの若旦那。働いてお金を稼いだことがありません。なんのきっかけか知りませんが、吉原遊郭の花魁に夢中になってしまいます。
いやー こんな素晴らしい世界があったなんて!
ご大家の坊ちゃんですからお金はあります。 花魁に入れあげてお金を使っているうちにスッカラカンになってしまいます。お金があるうちは花魁からおだてられいい気分になっていますが、花魁も商売ですから金の切れ目が縁の切れ目か、お金がなくなれば相手にされなくなり、追い出されてしまいます。
ああいう商売の女に本気に恋をしてはいけません。口八丁手八丁でいい気分にさせてくれまがすが、結局は商売。丸裸にされてしまいます。
この若旦那、実家のご大家の信頼を失ってついには勘当されてしまいます。花魁からも追い出され友人の家を転々として食うものにも困ってしまいます。ボロボロになり、生きていくのに絶望し、身を投げようとします。
男を磨き上げる苦労をしないで女性にもてようなんて虫が良すぎます。これは江戸時代の昔も、現在も変わりませんね。
この噺の登場人物の人情味
この噺を聴いていると、登場人物がみんな人情があって思わずほろっとしてしまいます。
吉原の遊郭遊びに夢中になって、実家の心配もなんのその「お天道様と釜の飯はついてくる」などとまで言ってのけた若旦那。親の恩も知らず、勘当されるのも当然です。
人生に絶望し吾妻橋から身を投げようとする若旦那を偶然とは言え、叔父さんに助けられました。
この伯父さん、こんなどうしようもない奴は世間は見放すと思うのですが、何とか性根を鍛え直そうと必死に自分の商売である唐茄子売りを教え込もうとします。
この伯父さん、厳しいのですが、どうしようもない甥っ子をなんとか立ち直させようとする愛情が感じられてカッコいいです。
天秤に重い唐茄子を載せ、ふらふらになってしまう。なにせお金持ちの坊ちゃん。重いものなど持ったことがありません。お耐えられずに唐茄子を地面にばらまいてしまう。そこにたまたま居合わせた男が唐茄子売りを手伝ってくれたというのですが、人味があっていいですよね。
現代だと困っている人がいても無関心で手を差し伸べる人はいないですから。
若旦那も人情味があります。若旦那は根はとてもやさしい人なんです。
旦那からの送金が途絶え、今日一日の食うものにも困る母子の身の上話を聞いて同情し、昼に食べる弁当どころか今日一日の売上金をそっくりそのまま渡してしまうという若旦那。いい人すぎます。
その後、心中を図った母子を助けた若旦那。勘当も解かれ、商人として成功を収めることになるのですが、やはり正直で根が優しい人は最後は成功するんですね。
なんか、古典落語を聴いていると「人生の教訓」を楽しみながら勉強しているような気がします。
コメント
主人公を立ち直らせるのは「伯父」というより「叔父」ですね。
主人公の父親の「弟」のようですからね。
またこの叔父さんは五代目·古今亭志ん生師演や六代目·三遊亭圓生師演を聴くと長屋の大家さんのようです。
「志ん生人情ばなし」にある通し上演を読むとあの母子は叔父さんが自分の長屋に引き取って面倒を見たという結末になってますね。
「唐茄子屋」は長屋の出入りの八百屋さんに叔父さんが商売の準備を頼んだのでしょう。
六代目·圓生師演では「唐茄子屋」の荷造りを運んできた八百屋の働き者の若い衆に労を労いながら道楽者の甥と比べる叔父さんのセリフがありますね。